正午すぎ、彼女が簀子に出てぼんやりと空を見上げていた。
 ほっそりとした白い顎は、普段、彼が目にしている女たちのそれとは違って、鋭く、病弱そうで、顎の形が違うだけでこんなに人間の印象は変わるものかと、彼はぼんやり物思いにふける。
 しばらくその無表情な横顔を眺めていたが、急に、自分たちの間に流れる時間に何の接触点もないことを懸念して、口を開いた。

「何を、見ている」

 問いかけに、彼女はゆっくりと顔を下ろし、彼を見た。初めから彼の存在に気が付いていた振り返り方だった。

「こんにちは」

 微笑して、彼女は言った。彼は軽く頭を下げてそれに答える。彼が近くにいることを知っていながら彼女は空を優先していたこと、問いかけにすぐに答えず礼儀を守ること、どちらも自分たちにとっては正しいように思えるが、彼には、それが少し寂しかった。そう感じてはいけないのに、それでも朧気な悲しみを覚えるのだった。

「何を、見ていた」

 同じ問いかけをする。彼女は再び空を見て、答えた。

「花と同じように、空も変わらないのだと思いました」

 以前、彼女と共に外を散歩したとき、花について「いつの時代も姿は変わらない」と彼女は語ったことがある。

「きっと海も同じなんだわ。
 だから私、ここが同じ場所なんだって思えます」

 彼女が本来生きている未来と同じ風景がある、と言いたいのだろう。
 彼は頷いた。

「大地と、空と、海のもとで、変わるのはきっと我々だけだ」

 淡々と言うと、彼女は再度、面を下げ、先ほどと全く同じ笑みを浮かべた。そうですねと唇だけで答えて、長い睫毛を伏せてその顔に影を作り、微動だにせず佇む。
 それは無意味な行為だった。
 普通の態度、社交的な姿勢ならば、彼女は、本当は彼のもとに少し歩むべきなのだ、この妙な距離を突破するために。人は人とある程度の遠さを持って自分の存在する場所を確保し、互いに結ばれている信頼がどの程度であるかという天秤を揺り動かすのだが、彼と彼女の間にある距離は、違和感があるほど、少し遠すぎた。信頼関係が乏しいからというよりは、元よりそんなものを築き上げてはいけないと戒めているような、そんな空間だった。
 これは決して埋まることがないのだろう――そう考えている自分に、彼は自嘲した。

「俺も、空を眺めやるのが好きでな」

 酒を飲みながら色んな時間帯の空を見るのが好きなのだと言うと、彼女は興味を持ったらしく、ゆるゆると目を上げた。

「そう、なんですか」
「ああ。俺が、どれだけ世界に対してちっぽけで、滑稽かを悟ることができる」
「……」
「海は」

 彼は、海と言いながら空を眺めた。

「好きか」

 問いに、彼女はわずかに――しかし何らかの――間を作ったのち、

「空ほどは、好きではないかもしれません……」

 静かに、今にも身体ごと消え入りそうな微かな声で、彼女は答えた。
 少女の今の不思議な態度を意味するところを、彼は知る由もない。
 彼は、そうか、と短く相づちを打ち、頷いただけだった。